漆・朱漆・蒔絵の歴史

The history of URUSHI
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9000年ほど前の縄文時代早期前半(約9000-8000年前)、北海道垣ノ島遺跡から土坑墓の埋葬された痕跡から漆を塗った赤い糸で編んだ装飾品、髪飾り、腕輪、肩当てのようなものが発見され、漆による副葬品としては中国の河姆渡遺跡で発掘された漆椀(約6200年前)よりも古い世界最古の漆工芸品(約9000年前)であることが判明しました。出土された朱漆を使った装飾品が出土されたが残念ながら2002年、この漆工品とともに6万点余りの出土品が焼失してしまいました。
また、世界最古の漆器は中国の長江河口の河姆渡遺跡で発見された7000年前の朱漆塗りの椀です(大西長利芸大教授)。日本では6000年程前の朱漆塗りの櫛が最古のようです(三引遺跡)。

飛鳥時代(592年~710年)には仏教の伝来と時同じくして、法隆寺の”玉虫厨子“など仏具が盛んに作られ、その側面には有名な「捨身飼虎図」が蜜陀絵(漆絵という人もいる)にて流麗に描かれています。

奈良時代(710年~794年)においては仏像彫刻の傑作「阿修羅像」が、脱乾漆(粘土で成形された原形に麻布を張り重ね、その上を刻苧(こくそ)〈木粉と漆などを練り合わせた物〉と言われる下地漆で細部を整え、漆を塗って仕上げる)という漆と布だけで造られた像として世界的に有名です。「 阿修羅像」(興福寺蔵)

平安時代(794年~1185年)には藤原一族が栄華を極めた時代だけに、漆の名品も数多く作られました。宮廷内での漆器の使用が日常化し、朝廷直轄の漆工(漆工芸)が始まります。貴族の調度品のほか、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂などの建物内部が漆で仕上がられました。遣唐使廃止以降は、日本独自児の意匠や技法が確立し京都が漆工芸の中心地となっていきました。中でも「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は形も描かれている題材も実に優美で、平安貴族の生活を垣間見ることが出来ます。

鎌倉時代(1185年~1333年)鎌倉から室町にかけて今でも博物館などでよく見られる漆器に生漆と弁柄を混ぜて漆塗りを施した「朱漆」“根来塗”があります。平蒔絵・高蒔絵・研出蒔絵という現代に伝わる蒔絵の手法は鎌倉時代に確立されました。室町時代には将軍の庇護のもとで多くの名工が活躍し、高蒔絵と研出蒔絵を併用したより豪奢な肉合蒔絵等の新技法が誕生し、数多くの名品が生まれることとなります。紀州にある真義真言宗の総本山である根来寺の僧達が、自分達の日常使う器物に朱漆や黒漆を塗ったもので、上塗りされた朱漆が長い年月の使用によって磨耗し、中塗りの黒漆が表出し、その時代を経た妙味が今もって至極珍重されています。ここで注意しなくてはいけないことは、長い年月磨耗してもなお美しさを失わないほどに、しっかりとした下地がちゃんと施されていたということです。
蒔絵に関してはこの時代に蒔絵粉の開発が進み、ごく微細な金銀粉まで作られるようになったそうで、室町時代にはすでに今ある漆工芸のほぼ全ての技法が確立されたのではと考えられます。
「根来塗湯桶」(バーミングハム美術館)

室町時代(1338年~1573年)室町時代末期における漆工品の代表的なものに、豊臣秀吉の正室北政所様が秀吉の霊を祀るために1606年に創建した高台寺内に造った漆塗りの霊廟があります。この霊廟を飾った蒔絵は“高台寺蒔絵”と称されるほど特徴ある平蒔絵(ひらまきえ)(研ぎ出し蒔絵に対して、細かな銀金粉を使用し、磨き上げていくだけの蒔絵)であります。またその平蒔絵を施した調度品が、日本の代表的な輸出品として、海外に輸出されていくことになりました。

安土桃山時代(1573年~1603年)には茶の湯の確立と共に茶人の趣向に沿った漆器が多く生まれます。また南蛮文化の到来によってもたらされた欧風モチーフの「南蛮漆芸」作品も多く作られるようになり、キリスト教宣教師を通じて鎖国後も海外へ輸出され続けていたようです。

江戸時代((1603年~1868年)は日本のあらゆる文化が花開く安定期であり、漆においても“本阿弥光悦”の”琳派“をはじめとした芸術家が出現し、独自の漆作品を世に残しました。「船橋蒔絵硯箱」に見られるように、その斬新な造形と意匠はまさに工芸品の域を超えた芸術品として昇化されたと思われます。

幕府や大名家に仕えた漆工家によって精巧で豪華な蒔絵の調度類が多く制作されるようになり各藩の産業の奨励によって各地で漆器の産地が形成されるようになり、庶民の間にも生活用品としての漆器が普及していくようになります。長崎貿易を通じて蒔絵や螺鈿(らでん)の豪華な調度品が諸外国に輸出されて西欧の王侯貴族にもてはやされるようになります。

※螺鈿:主に漆器や帯などの伝統工芸に用いられる装飾技法のひとつ。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。

明治時代には武士の時代に終わりを告げ、立憲君主国として開国してからは、欧州各国で開催される博覧会において、漆工品は日本の代表的な工芸品として世界に発表紹介され、各種賞に輝き、その精巧な蒔絵の技は西欧においてますます認めらていきます。ヨーロッパでの日本漆器の好評を受けて政府の殖産興業政策による工芸品の輸出奨励策もあって、各地で特色のある漆器が産業として更なる発展を遂げることになります。

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